-東日本大震災のボランティアコーディネートからはじまった-
私は福岡県の北九州市出身ですが、東日本大震災以降は岩手県宮古市の災害ボランティアセンターにて活動するようになり子ども支援、学習支援、学生ボランティアコーディネートの活動をしてきました。そうした繋がりから現在に至るユースみやっこベースの活動設立になりました。復興が長期化する中で、学生自身も活躍の場を模索し、「何かやりたい」という思いの方が多くいると聞いたので、場作りが必要と感じました。ビジョンには「若者が主体的に社会参画することができるまち」と掲げ、ミッションとして「主体的に社会参画する若者を育成、若者が参画できる社会環境の整備」を掲げております。
事業は大きく4つあり、「活動機会創出」、「社会活動支援」、「キャリア形成支援・Uターン環境整備」、「社会環境整備」と分けています。設立の時から毎月一回行っている「高校生サミット」は、みんなで話し合いながら自分たちが何をやっていく必要があるかアイディアを出し、それを実際のアクションに繋げています。これまで39回毎月行っています。「あうぇーこなび」という地元商店街のマップもこの中で誕生しました。
-高校生を支える多様な大人が関わることで、活動を実践してきた-
これらの活動を、「常勤一人、非常勤一人の2名体制」で実施しておりますが、これはひとえに多くの会員やサポーターに支えられてこそ実現しています。僕はよそ者だったのでいずれはいなくなる、でもこの活動は継続的に必要だという認識があり、そのために組織を持続可能にする「組織基盤強化」という点は、メンバーの中で設立当初から重視していました。メンバー集めは、これまで活動を通じ出会ってきた人たちへ「何のために、何をやろうとしているのか」コツコツと伝えてきました。高校生サミットを見に来てもらい、逆に大人が刺激を受けて少しずつ集まるようになりました。活動をどんどん開いていくことで、大人にも当事者意識がうまれたのかな、と思います。大人と高校生、それぞれ違った立場で異なる価値観を持ち、その場に自分なりの役割を見出していったと思います。
その中で活動のビジョン・ミッションを皆で作っていこうと提案しました。人材育成を掲げながら教育の専門家がいるわけではありませんが、だからこそみんなで考える土壌ができたと思います。人がどんどん集まることで、高校生が企画実行する一つのプロジェクトに一人の大人がつくというメンター制であったり、印刷業を営む理事が本業を活かしてかかわってくれたりするようになりました。これにより高校生も宮古の職業に興味を持てるようになった、という効果もありました。経営においては、こうした多様な大人が貴重な人材資源を担っていると思います。それぞれがそれぞれの視点で関わりながら、組織基盤強化をしていこうと思いますし、それが波及して街全体で若者の活動を応援する気運が高まっていると思います。